片山津温泉

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片山津温泉
資料情報
所在地 石川県加賀市片山津町ツ 71番地

加賀ふるさと検定・おもてなし講座実行委員会による解説

片山津温泉は、承応2 年(1653)に、のちに大聖寺藩2代藩主となる前田利明が柴山潟に鷹狩りに訪れた際、水面に水鳥が群れていたことから湖底の温泉を発見したことが始まりと伝えられています。その後、幕末から明治初年にかけて温泉の掘削を試みた記録がいくつかありますが、いずれも安定した湯量を確保することはできませんでした。明治 9 年(1876)に、当時、県の役人であった近藤幸即 らが柴山潟で大規模な埋め立て工事を行ない、その結果つくられた人工島に橋が架けられ、ようやく人々が温泉に入浴できるようになりました。明治 15 年(1882)6 月 28 日には、石川郡観音堂村から井戸掘りの森仁平を招き、特殊な工法で掘削し、湯量を確保することに成功しました。のちに、片山津温泉では、この日を開湯記念日として「湯の祭り」が始められるきっかけとなりました。[1]

最盛期の4分の1の宿泊者数に落ち込んだ片山津温泉の再生は、加賀温泉郷の中でも、もっとも困難なものでした。それは、経営に行き詰まった大型旅館の多くが眺望を売りものとした柴山潟湖畔に面していたからでした。平成6年(1994)には、世界的な建築家磯崎新氏設計による「中谷宇吉郎雪の科学館」が建設され、年間2万人(同25年度実績)の親子連れや観光客で賑わっています。また、老朽化した総湯の建て替えをきっかけとして、世界的な建築家谷口吉郎氏の設計・監修による新総湯(共浴場)が同24年4月に建設され、片山津温泉の潟沿いに賑わいを取り戻しつつあります。令和元年7月には、白山と柴山潟の眺めを楽しめる「白山眺望広場」がオープン。令和2年4月には、かつて木曽義仲と平家軍が戦った篠原古戦場に位置する「手塚山公園」の再整備も行われ、柴山潟周辺の観光開発も進んでいます。[2]

参考文献

  1. 加賀ふるさと検定・おもてなし講座実行委員会. “加賀市歴史文化学習帳第1部「歴史編」”. 2022年8月25日閲覧。
  2. 加賀ふるさと検定・おもてなし講座実行委員会. “加賀市歴史文化学習帳第3部「産業・人物編」”. 2022年7月21日閲覧。