カセットテープ|市民文化講座「北陸新幹線と加賀市(講師:斉藤晃吉)」

提供:かがが


北陸新幹線と加賀市
市民文化講座
資料情報
資料ID ka ta 0244
所有者 加賀市立中央図書館
保管場所 加賀市立中央図書館
メディアタイプ カセットテープ
制作年 1977年7月30日
制作者 加賀市
撮影/制作地 (旧)加賀市立図書館三階講義室
再生時間 1時間21分32秒
備考 講師:斉藤晃吉

概要

 市民文化講座は図書館主催で始まった生涯学習事業である。「豊かな知識を身につけ、文化に対する視野を広げていただこう」と、1978年に完成の「加賀市史」編纂とともに1975年5月から始まった。本テープは、1977年7月30日に、斉藤晃吉氏(当時、金沢大学法文学部教授)を講師に招き「北陸新幹線と加賀市」をテーマに開催した講座が収録されている。

主な内容

 北陸新幹線の建設に際して、加賀市の立地、経済地理の専門的立場から紹介。


テープ文字起こし

 ただいま館長からご紹介いただきました斉藤です。今年来年中に、加賀市史が全巻出来るはずですが、もっぱら調査中です。これに関してはまだ皆さんの御協力を得なければならぬと思います。それで今回、こういったテーマを選びましたのは、実は加賀市が小松市といわゆる新幹線駅の問題で、トラブルというわけではありませんけれども、いろいろ競り合いをしておるということが数年来ありました。最近、ちょっと下火になっていますけれども、だんだん新幹線が具体化すれば再び燃え上がっていくのではないかと思うわけです。それと新聞ではもう一つ大きな話題をしばしば見ますのは、新全総の見直です。

第3次総合開発計画と北陸新幹線

 第3次総合開発計画というのを政府が着々進めておるわけですが、それともう一つ、地元の新聞では非常に関心を持っていることで、新聞記者たちからしばしば報道されるのが北陸新幹線。これが非常に難しいという話もあれば、また若干希望があるというように、絶えず、情勢が変わっております。

 昭和48年の10月でしたか。加賀市もその影響をもろに受けました。石油ショックによって新幹線が非常に見通しが暗くなったというのは事実です。しかし、最近はやはり景気浮揚策ということもありまして、やはり公共投資の一環として新幹線ということが非常に話題になっておるわけですね。果たして北陸の新幹線が見込みがあるかどうかということについては、我々のようなものはとても論じられませんが、しかし客観的ないろいろなことを考えますと、北陸には新幹線が必要である。その必要性について、皆さんの認識を持っていただきたい。それから新幹線がもしも実現するとした場合には、加賀市には一体どういう影響、あるいは利益、あるいは不利益が出てくるであろうか。加賀市がこれからいろいろな面でいろいろな地域開発を進めていく、あるいは地場産業の振興を考えていく、あるいは入院福祉のあり方ということが問題になってくるという段階においては、非常に大きなプロジェクトと無関係では考えられない。

 そういうことで、なぜ北陸新幹線が新聞のトップにかけられるほどの重要性を持っておるのかということについて、少しお話を進めたいと思うんです。なお、そのことについては、恐らく加賀市の人たちが十分に承知しておるはずだと思いますのは、新幹線停車駅について既に激烈な小松と争いを演じてきてあるんだということ。それ自身が加賀市の人が新幹線停車駅というものの重要性というものについて、十分認識しているからだと思うわけなので、今私がお話しすることは本当は釈迦に説法ではないかという思いがするわけですけれども、きょうは暑い中ですけれども、雑談だと思って聞いていただきたいと思います。

 ここに1枚の地図を書いたのですが、北陸新幹線という問題は、もう一つ大きく考えれば新全国総合開発の改訂版である。恐らく、今年から来年の春ごろまでにはでき上がるであろうとも思われます。第3次全国総合開発計画といういわゆる国の政策が決定されるわけです。その中で新幹線が当然取り上げられる予定なので、そこへ乗らなければ見込みがない。だから、第3次総合開発計画にぜひ北陸新幹線の着工をかけということを今、北陸地方の政界財界挙げて、この政府に圧力をかけている段階にあるということなんですが、こういう新幹線の問題の歴史は非常に長い。

北陸新幹線の歴史

 我々はどうしても歴史的に考えた方がわかりやすい点もありますので、非常に歴史が長くて忽然として出現したというふうに考えてはいけないと思います。と申しますのは、北陸新幹線の先に早々と昭和39年に東海道新幹線が開通しています。

それから、一昨年に山陽新幹線が博多駅まで着々と進行しておるわけですが、その新幹線の以前はどうだったかというと、御承知のように全国東海道本線を初め、北陸線、東武線、線東北線、そういうふうにさまざまな幹線ルートが日本を網のように張っているわけですが、地図で描けば、日本の太平洋側にもあれから日本海側にも線路は走っているということは否定できない。地図で見ればそのとおりなんですけれども、ところが走っているスピードが違う。それから回数が違うということが、実は非常に大きな問題なんですね。それで、しかも歴史的に申し上げますと、北陸本線北陸線が開通したのが、明治30年から31年であったと思いますが、結局線路が北陸で直江津から米原まで全線開通いたしましたのは大正2年のことです。ところが、東海道本線でいわゆる東京から神戸まで開通しましたのは早々と実は明治22年のことです。だから大正2年と明治22年の間では24年の開きがつまり日本海側の北陸では鉄道の恩恵をよくするのが、この太平洋側からと比較すると、24年も遅れておるということですね。

 つまり、24年といえば一つのジェネレーションといいますか一世帯に近い、それだけの遅れを取らされておる。だから日本海側というのは遠方含めまして、非常に交通体系が遅れておるというそのことが新幹線時代にも当然出てまいりまして、先ほど申しましたように、昭和39年に東海道新幹線が完成しておるのに。

まだ日本海側では一本の新幹線も走っておらん。とにかく昭和30年代の高度経済成長。その影響がずっと続きまして、40年代中程までは非常に景気がよかった。40年代の中頃からやや景気は翳りをみせたと言われますけれども、48年まではそういうことはほとんど意識に上がらなかったわけですね。

 昭和44年に見直し作業が進められております。新全国総合開発計画がつくられます。これにこの昭和44年の新全国総合開発計画の中で、この新幹線が北陸新幹線が当然入っておるわけです。このときは北陸新幹線もありませんで、全国をほとんど新幹線で結ぼうという大きなプロジェクトが新全国総合開発計画がに盛られておるわけです。

 例えば、山陽新幹線は当然のこと。さらに長崎、それから九州は熊本鹿児島まで結ぶ新幹線。それから東北は1次と2次とありますけれども、盛岡まで、あるいは盛岡から青森、さらには津軽海峡の海底トンネルを越えて北海道へ渡って、北海道は函館から札幌を経て、あるいは旭川あたりまで突っ走る新幹線、さらにこれは政治的な力も非常に働いていると思いますけれども、上越新幹線というのがあります。その中で、博多までの山陽新幹線が完成いたします。現在着工中なのは、東京から新潟へ結ぶ上越新幹線。それと東京から盛岡を結ぶ東北新幹線これが現在着工中です。上越と盛岡どちらの先にできるのかちょっとわかりませんけれども、仙台などは新幹線の駅舎が立派なものが建設中ですし、それから新潟も現在の駅に併設する工事が進められている。そういうふうには上越新幹線は別としますと太平洋側を結ぶ幹線ルートは非常に進んでおりた。それに対してこの日本海側では上越新幹線だけは現在工事中ですけれども、これはあまり北陸にとっては意味のないと申しますかね。それほど北陸の開発といいますか。そういう方面ではあまり関係がない。新幹線のようです。いくらか長岡で乗り換えれば金沢からあるいは富山から遠くへ行くのに、山陰を乗り換えて上越新幹線ということになれば、若干時間を早くなるかもしれません。けれども、乗り換えの不便さもあるということで、つまりこれは先がとまっているわけですね。これは結局、田中前総理大臣の政治力がこの着工を早めたということは明らかだと思います。そういうことで北陸地域は非常に大きなハンディキャップを背負わされている。なぜそういうハンディキャップが出てきたかということが、我々にとっては非常に問題なんですけれども、端的に申しますと明治から100年の歴史がそうさせたというふうに言えるのではないかと思うんです。

明治から100年の交易

 明治政府は対外政策といいますか、外国に向けた政策転換をするわけですね。その場合に日本の当面の貿易相手国というのは、アメリカ大陸であるとか、あるいはオーストラリアであるとかいったような方面であります。したがって、そういう方向へ向けての最も立地条件のすぐれた太平洋岸の港湾がどんどん開発されるような、そういう港湾を結ぶ鉄道としての東海道新幹線、あるいは東海道本線あるいは、山陽本線が機能を発揮するということで、そのころから既に日本海側と太平洋側の開発の力点の違いが出てくるわけで、いつまでたってもは日本海側は北陸線と東海道本線の時間差と同じような差が出てくるわけで、だから港湾国際貿易港日本で国際貿易を扱う貿易港と言われるのは、100ちょっとあるわけです。その中で、特に重要な貿易港は、横浜港、あるいは神戸港、名古屋港、あるいは東京港。そういうふうに重要な港湾は太平洋側に集中しており、106、107つぐらい事業区分があるわけですけれども、そのうちで日本海側が幾つかあるかとあれで見ますと16箇所しかない。つまり太平洋側に集中しており、日本海はその何%という数しか重要港湾にないということ。このことだけ見ましても、環日本海側というものが斜陽の地域としてみなされておるということを示すものではないか。では、なぜ日本海側にそういう港が少ないかというと、やはり根本的には産業の発達が遅れておる、あるいは人口が少ないということと。だから港は必要ないんだというのが、恐らく政府の方々の説明になるだろうと思います。例えば、福井新港をつくる金沢新港をつくる間、富山新港をつくるという場合にもですね。政府の人たちは相当の抵抗があったと思うんですが。しかし、例えば冬の積雪と金沢港との関係あるいは日本海と太平洋側の余りにも激しいほどの地域格差といいますか。そういう格差是正ということもあって、この港も必要なんだということで、ようやくそれぞれの県に一つずつの新港を実現をすることができたわけです。今、福井の場合はまだ建設中ですけれども、そういうことを考えましても、北陸、あるいは日本海側というのは非常に大きな産業の経済的な格差があるということ。それが鉄道網の普及、あるいは新幹線の実現に大きく足を引っ張っているということはこれは否定できないだけれども、果たしてそれが昔からそうだったかということをそれではもう少しの古い事例を考えてみますと、それでは江戸時代はこの太平洋側と日本海側がそんなに差がったであろうかと思わけです。

江戸時代の交易

 それでいろいろ調べてみますと、どう考えても徳川時代はどうも日本海側の方が繁栄しておったらしいという結論せざるを得ないわけです。加賀市に北前船の研究家がいます。牧野先生、最近定年されて歴史博物館で館長されております。牧野先生の著書をごらんになっても歴然とわかるわけですけれども、北前船というのは、江戸時代の交通の大動脈であったということです。あれに匹敵するような、いわゆる交通動脈は太平洋側になかったわけです。もちろん、太平洋側には東回り航路、秋田あたりから津軽海峡を越えて、はるばると三陸の海岸を眺めながら東京・江戸へやってくる東回り航路というものがある。それから大阪から東京へやってくる近距離の廻船もあったわけですけれども、船の数から運ぶ物資の量、さらにこのルートの延長からしまして、日本で当時の在来の交通動脈は北前船で、これは河村瑞賢と非常に関係があるわけですが、将軍家光のころだと思うんですけれども、寛永のころ、河村瑞賢が幕命によって西回り航路の航路開発をはじめ解放されたのが西回り航路だというふうに言われております。新潟産の米をはるばると日本海側を通って下関を経て、大阪まで旅をされたが出られなくなる。こういうのが西回り航路。

<不明箇所>

ところが、この西回り航路は河村瑞賢が開発したものでは決してなく、それ以前、数10年前からでは加賀・前田藩によってこの航路は開発されているわけです。つまり、加賀藩は、江戸時代では日本で第1の雄藩で、

採れる米も非常に莫大である。百ニ十万米の大藩。その米は大阪で金にして、そのおかげで藩の財政を賄うというやり方をやっております。そうしますと莫大な米を運ぶのに、これを従来のルートから言いますと金沢から敦賀まで運び、峠を越えて琵琶湖へ。そして琵琶湖の水運を利用して大津、さらに大阪というふうに運びますと、何回も乗り継ぎをしなきゃならなかった。俵物ですから、非常に荷崩れが起こるわけです。それで何とか合理的に輸送コストも安く便利な方法はないかということで、加賀藩加佐ノ岬港の廻船問屋たちに航路の開発をやってもらった。以前から加賀藩の米が大阪へ送られていたが、それを整備したのが河村瑞賢で、さらに西回り航路は北陸だけでなく、秋田あたりからも運ぶようになり、最も重要なルートになったわけです。こちらの方は距離は近いけれども、非常に航路が危険。特に千葉県から房総半島とか銚子の沖合あたりは非常に難所で、これは最近でしたか。外国の船で20万トンタンカーでしたか10万トンタンカーでしたが、波で船が沈没しているというぐらいの非常に大変な難所である。それからこれは紀伊国屋文左衛門の浪曲にも出てきますけども、なかなかの難所が多い。それに比べますと、日本海側は冬の数カ月はこれは北西季節風が卓越しますね。船はほとんどむけません。<不明箇所>

けれども、ある日者<不明箇所>から留学者までははるかに、この太平洋側よりも安全な航路である。交通の動脈は東側よりも日本海側の方がはるかに早く、しかも重要なルートであったということが一つで、そのほかにこれは明治の初め頃に、政府が各県それぞれの県の産業調査をやっているわけです。産業調査の結果を見まして、この表日本、いわゆる太平洋側の諸元、それから日本海側の諸元を比較しても、何ら遜色がないですね。やはり日本海側でも、それぞれの県に非常に重要な当時の全国トップレベルのような生産を上げている品目が非常に多くある。それから人口があって、今日東京都だけで1,000万人以上の人口を持ってます。そして都市人口ありましても、日本の半分以上が都市化しておるは都市人口になっておるわけですね。

さらに、この東京の都市圏、それから近畿圏へが中京圏これら3つを合わせて日本の大部の人口が集まっているというような計算になるわけですけれども、実は江戸時代、明治の初め頃の人口の分布を見ますと、新潟県が当時の府県では最大の人口を持っているわけです。

現在、日本海側が過疎で悩んでいるのですが、これは決して昔からじゃないか。こういう形ができたのは、実は明治以来の100年間だった。だから明治以前だったら決して、今日言われるように表日本や裏日本という言葉で言われるような、コントラストは決してなかったわけで、いろいろな点で日本海側の方がすぐれたところが随分あった。地域産業の上でも重要な産業が日によってそれが明治以後は表日本に需要供給力になり、陸上交通海上交通をやめて陸上交通に明治政府が切りかえて、それに鉄道時代が訪れて訪れるとともに、日本海側の裏日本化が始まったということなんです。だから、そういう意味で裏日本化をはねのける一つのバネというのは、やはり交通体系の革命ではないか。その意味で新北陸新幹線というのは非常に重要な役割を結んでいると、我々は判断しておるわけです。前年もちょっとついでに、これも最近はあまり出なくなったんですけれども、ひところは日本海時代という言葉がしばしば聞かれたといいます。つまりばら色の日本海時代、つまり、あるいは石油ショックがやはり一つの日本の針路といいますかいろいろな点で一つの曲がり角的な意味を持っている。

石油ショック以後の日本

つまり、石油ショック以前の日本というのは全く経済合理主義といいますか、経済優先主義である。何でもすべてを犠牲にして儲かればいいといったような形の合理主義が徹底してきたわけですね。だから、外国人が日本を称してエコノミックアニマル、つまり経済的動物であるというようなニックネームまでつけられる。ところが、そのエコノミックアニマル的な勇猛果敢な総合商社が出現し、世界の商品を買いまくるといったような活躍ぶり。それに水をかけられたのが昭和48年の石油ショックなんです。そこで従来のエコノミックアニマル的な、いわゆる経済至上主義だけではダメだという反省が出てきたわけです。つまり、金がもうかっても、それがすべて全てかというような反省であるわけです、やはり人間の幸福なり幸せというものは、金では買えない面があるということも、そのときにつくづくと反省があったと思うわね。そういう意味で48年の石油ショックというのは、昭和30年代から始まった経済成長に非常に大きな役割をしているのが、池田首相の所得倍増計画に象徴されるような経済成長。それの反省が現在出ておるわけで、その全国的レベルの反省が実は新全国総合開発の見直し作業なんです。昭和48年の新全国総合開発計画は、いわゆる経済成長時代の精神でもって、地域開発は全て負の経済的にできるだけ有効な開発を進めようと、そこでは人間というもののがやや軽く見られておったということが言えるのではないかと思うんですが、それの反省として、現在第3次総合連合総合建設計画がプランが練られておるわけです。これは経済成長が終わって、いわゆる原子力経済といいますか安定成長といいますか。今一度、人間というものを、あるいは自然というものを見直そうという時代がやってきましてね。その次の時代、つまり、太平洋時代の次の時代を背負うのはどこであるかということに。そういう期待が日本にあったと思う。

日本海時代

そこで今出現してきたのが日本海時代という言葉ですね。だから、つまり現用時代が終わって新しい時代として日本経済が始まるんだという一つの幻想といいますか。そういう夢が感じられ、そこで多くの人が非常に関心を持ったと思われます。 2023-01-10 16:56

⚠️Notice 以降、自動文字起こしによるテキストです。校正が入っておらず、読みずらい箇所もございますが、ご了承ください。随時更新予定です。

広島と日本海時代、日本海に関連してブームはあちこち横の話をしてくれたというふうに言われることがあるんですけれども、では日本海でどういう時代だろうかということになるわけなんですけども、平たく言いますとつまり太平洋に傾き過ぎておった日本の経済構造をもっと国土全体国全体にバランスのとれた形が要るんじゃないかと、その前に日本海地域というものは、どういう役割を持つ人たちは当然、太平洋側では例えば公害の発生公害問題、あるいは海洋汚染、あるいは都市の過密による、つまり東京など

では人の住めるじゃないといったような状態に出てきている。そういうところに対してまだまだ自然が多く残されており、豊かな自然を持ち、過密の弊害も少ないし、都市公害もほとんどないような日本海側というもの。これをこの中に新しい日本の生き方という。

つまり、自然と調和しながら人間福祉を中心とした一つの地域開発のあり方がないなかろうかといったような、そういう模索の段階で徐々に現在日本海というのはこういう時代ではなかろうかというようないろいろな意見が持ち寄られつつあるわけな。つまりのあまりにも行き過ぎた太平洋側の開発に対して、調和のとれた一つの開発と調和のとれた生活調和のとれた経済といったような方向の新しい枠のあり方というものは、太平洋側にはとても求めることができない。

だから大変な捨ててしまって、我々この日本海側でそういった一つのありうるあり得るといいますかそうあってほしい一つの理想といいますか。そういう理念的なものをの開発の点が十分触れられておらないから、それができるんだできるということもあろうかと思いますけれども、そういう意味で次の時代を知恵を一つの新しい地域の姿というものを求めるとすれば、まだまだ汚れておらないに問題があるというものが、そういうベストの医学のように適切な場所であり、したがってまず第1番目は過度

に集中しておった太平洋側の工場なり、そういうものをいわゆる工場再配置とか地方分散とかという名前で、郊外の石らしい的な工場を誘致するのは未来であるとつまりそれは結局太平洋上で期待の悪いものを全て日本全土に及ぼすあり方である。

それにはそれであってはならないということがまず船なければならないということになるわけです。それで、日本海時代にといっても、なかなか僕らもよくどういう姿であろうかということをなかなか言えないわけですけれども、皆さん、それぞれがこれからの新しい地域のあり方というものをめいめいの考え方をまとめながら形にまとめ上げるということが大事だと思うんですが、そういう意味で先ほどもちょっと触れましたように日本海時代に日本海は江戸時代までは決して太平洋側に比べて遜色がなく、かえってある意味では先進

地域である。それが名義の政策転換によって次第に斜陽化の方を進めてきて、今日見るように非常に大きな格差を生みということが否定できない。だから、古い貿易では江戸時代に戻れというようなことは言わないまでも、本来のもっと日本全体まとまっていると言いますかね。

バランスのとれた地域開発のあり方があるんじゃないかということが言われるわけです。それが大きなこれからの問題で、我々としましては第3次全国総合開発がどういう形でこの問題に取り組むであろうかということについて大いに期待をするわけですね。つまり、従来の新全総のいわゆる経済合理をどう使用し、ドイツのアウフヘーベンといいますか。

それを抑えながら新しい負の地域の像をどういうわけですかということに、8に興味関心を持つわけですけれども、とにかくこの新しい日本海にないという考える上に、やはり我々としては日本海地域というものが一つのまとまった地域で投げるならということが一つ言えると思うんです。

これは北海道旅行、あるいは九州、山陰旅行、あるいは東北の旅行された経験のある方はふぐを感じられると思うんですけれども、今金沢から山陰松江とか出雲大社へ行くにはどれぐらい時間がかかるか。ここで9個9号が1本しかないという大変なところに驚異的な日数機会。

しかも北陸の風土と山陰の風土によく似ております。ここに5は車検を違えたのは、これは雪の降る地域。日本で日本で雪の古い地域と言いますと、これは大変適切で無理。つまり1メートル以上得る地域をやってみたで、ちょうど日本は1位。

つまり日本海側が雪国でありたい。グラベルは一気に降らないというきちんとのはわかります。だから、この日本海側というのは、このほとんどの海岸帯は雪というで、一つの運命共同体的ないわゆる水稲炭山みたいと言われるのは、山陰から北陸の東北にかけてかつての水稲米の軟弱期待としてできい。

それに対してこちらは今、もう麦なんていうのはどんどん重要性がなくなりまし。昔でいえば米麦、二毛作地帯としてきちんと流れるのは台風の中で若い、そういう非常に共通性を持つ日本海側がもう旅行するのが大変な不便さはよくご存じだで、なぜこういうことになったかという結局の話を戻るんですけれども、メインに行かない方の政策あれから特に昭和戦後になりましてから、日本の開発の方向というものは、実は新田村もそうだったんですけれども、つまり横に結ぶ日本海の横に結ぶような

発想が全然なかったわけですね。であったのは、日本を越えて北に入りまして、輪切りにするわけですね。上げに来て、やはり東北は東京にと思っている。それから自由地方は名古屋に決めたように、それからこの近畿地方から四国中国地方は要するに大阪にお店に来て。

だから大阪に結びつけながら、この地域の開発を、それから中部地方は名古屋を中心として地域開発という開発の方向が打ち出されておるわけですね。だから、全て一切の政府の全ての例えば、出先機関などもみんなそういうシステムで日本を横に結ぶようなシステムは全然ないわけですね。

横といいますか。日本海側はですね。山地というのがない。だから、そのことが合意の上にも反映されましてですね。金沢から悪態つい大変な事件に同じように大変なまっている。朝8時に出て夜6時頃に着かないわけですね。これが同じ距離の大阪から博多まで3時間で行ってしまうんですね。

だから、そういうふうに非常に不便に不便だから、金沢と松江が優位に着かないというあるいは金沢と新潟が行われている中、声高新潟以外はから受けた方がはるかに時間が一番短いといったようなこういう一つのこれが昭和44年に出ましたできました。

新全国総合開発の少しなんですね。だから、今度の見直しで我々は犬の投影みたいなものですけれども、ぜひ大3年で3人レングス開発計画の中で日本列島を運営するが、やめて日本海側の地域は一つの力と一体的一体としてのプランというものができないものだろうが、あるということを主張しておるわけですけれども、それの一環として出てくるのは、委員が。

だから本来はこの北陸新幹線は東京と大阪を結ぶこの方が一番実現可能性があるんですけれども、代表側の例からすれば、日本海の走る新幹線というものが非常に要求されると思います。だから、金沢から前まで新幹線で3時間だったら、やはりこの間に交流が盛んになる。

それが今ではなかなかの赤字を取れるの乗るよりも、東京から大阪に大阪から成都1遍まで日本へ出て行かなきゃ。その方が時間的には経済的であるといったような、あるいはこの飛行機に乗るにしても、これは今や今赤ちゃんにありますけれども、東京へ出て、それからとかあるいは東京に来てくれとかいうふうに全てこちらの方が足軽になっているということは、結局、東京を中心にという輪切りの攻めつけるという、それそれをやれば、つまり東京の重要性というものを非常に高く、名古屋の需要で

はなくなるという、やはり太平洋側の期待の地域は優先順位というものがネットを日米でも実施できない。だからそれをここで何とか改めることができないものだろうかということが一つの環日本海地域の共通の悲願として、実は皆さんも考えていただきと思います。

それで悲しい話と新幹線だという問題になるわけです。かがやき皆さん、中にお住まいで加賀市のことは非常によくご存じだと。僕らから言うこともあまりないんですけれども、つまり今新幹線ができるかどうか高橋にできるか必ずしも定期会議ができるかどうかということ。

それから新幹線が通じるかどうかということは非常に問題なんですけれども、けさのパワー新聞で高木企画開発部長の談話みたいな話年間の部分ですかね。分解購入できた可能性についてはあまり触れていませんけれども、話の中ではヤマユリも通るというような意見に伺いたいと思います。

今あるから金沢駅は現役芸術である。そういったような言葉からすれば、可能性はかなり高いんじゃないかという一つの考え方もできるし、それから今の福田総理大臣に財界の年次があった。話では、感触的にはいいんだということですね。それから、経済企画庁の下河辺という局長。

これはタヌキみたいなよくわかりませんけれども、これを新しく第3全庁で新幹線問題を考える場合に、オプションのつまり予算が非常に乏しく、ダメージになったというよりも、両方に工費が高くなったわけですね。したがって、1計画しておったよりも、非常に大幅に機能数を減らさなければならない。

それを減らしたクラスの中に北陸新幹線が潜り込めるかどうかということが現在の最大の評点なの前に幾つかの計画路線があるわけで、その中で着工順位といいまして、どれが優先されるかということが当然、その前にやはり北陸新幹線が最も有利であるということを、これは我々ばかりでない日に野村総研とか例の報告調査報告共通してそうなっているということですね。

だから、やはりそういったようなことを政府としては無視できないに。ただ政府は根本的にはこういう形が一つある。あるそれはこれはこういう新幹線末端的な人が前よりも日本の背骨路線というものが要るんだという考え方があるわけですね。だから、東京から大阪が大阪から博多方からこっちはどうかわかりません。

今度、ここは仙台、盛岡、さらに青森、それから海底などになりえて札幌まで来れ。こういうのはこれは最も大切な動脈。これは何としても実現という考え方にしてAZURE。そういう考え方はそういう政府の考え方は納得できないわけでもないんですが、それがバスで我々が見ますと東京の中央は刺激を強めるだけでなると思うわけですね。

そういうことが一つともう一つ。これは北陸新幹線は決して必要性から見て、利用性は非常に大きい。オープン大きいが小さいかということについては、これは非常に大きいものがあるということが一つ言える。そのことはどういうことかと思いますと我々東海の新幹線がこれに入っているわけですね。

これと距離的にあまり違わない時間は東海道新幹線は非常に現在感無量大だそうですね。だからちょっと石油ショック、いわゆる経済ミニ不況のためにそれほど予測したよりは十分しておりますけれども、大体1日30万人以上20万人が限度だというわけです。20万人を1日の輸送人員が20万を超えた場合には東海道新幹線短くします。

それで、よほど前々から新幹線のその先にジワッとセンシティブ複々線というんですかねというのを第2新幹線をつくるという案もあった。それを上方は今でも抜け、一部残っておると思うんですけれども、それよりもこれは地域開発も兼ねて、しかも日本の国土をバランスのとれた開発の方向に向けていくに最も効果のあるのはこの北陸新幹線、つまり、日本日本海側の副大臣もあれで納得するかということもあり、しかもこの下りに対してバイパスであるという効果もこれは非常に大きいということを言っている。

昨年でしたが、名古屋愛知県に集中豪雨で長良川が堤防が決壊いたしました。あのときに新幹線が瞬間、東海道新幹線がストップ寸前だったんですね。あるいはストップしてくれたら、北陸新幹線の実現は非常に早かったろうという皮肉た言い方をする人もあるぐらいですね。

そういう意味ででは和泉の大地震が地震ではこの点はこれから95年前の関連イベントた。いろいろという自然災害を考えましても、このバイパスに近いものですね。バイパスが非常に必要性があるの。そこが北陸新幹線には他のどの新幹線に比べましても、最も有利なと言えるわけなので、そういうことで今開発の着工のめどは立っておりませんけれども、我々が来てどうこうじゃなかろうか。

実はこの昭和49年に着工しておらなきゃならぬのです。それが48年の石油ショックで延び延びなって現在52年。だから既に着工の左側3年遅れておられるます。来年着工としてまで、もう最初の予定よりも随分大幅に遅れておるということなん。そういうことでは、可能性の問題は急には結論は出ないんですけれども、それでもしも新幹線が覆ったという前提で考えてみる必要があるとしますとどういうことが起こってくるだろうか。

これは小松と大聖寺が加賀市が駅の取り合いが天を切ったように停車駅ができるというのは、恐らく非常なメリットがあるだろうというこれ、あるいは大方の予想なんですけれども、そのメリットといいますか有利な点というそれを考え、高橋が停車駅をぜひ欲しいという考え方の根本を探ってみますと、実はこういうことだ。

それは東海道の新幹線の場合の経験があるわけですが、いろいろの面がありますけれども、停車駅がある都市と内藤市大都市の間で1種の都市都市の従属関係が出てくる可能性がある。普通都市というものはかなり命令はない上の改造というものがある。

大大喜利があり、そのこれは健全な取材費現日本の場合は現場の取材というのがこの一端にかなりこれとの間の人口規模からみてたくさんあるのが次のいわゆるこの中間の都市というのはまずないですね。つまり、現場の取材というのは、これが例えば人口金沢で比較の場合でいえば金沢40増、次の都市は2割20万家の都市は日影にはなって、次は10万で、それから昔の町マンツーマン程度、それから部落と村といったようなこういう一つの会場関係を考え出し

ましと、今、小松委員大処理の場合、かなり話があるのは銀行の5番街。それから家が5月に20万ぐらいある従来のこの階層といいますか。ジュネーブで業務をやれとなりますと金沢のオマージュを入れて5月2日にとなるいろいろな点で、それでこの市に新幹線ができると、小松と話の地位が逆転する可能性が出てくる。

だから、小松を追いつき、追い越せという場合の最も都合のいい上限というのは、新幹線になってTGVができる。それ恐らくそういうことがですね。そこの行政当局の腹の中にあるのではないかと私は思うわけなんですけれども、これは確かにすごいことです。

だから科学これは当然出てな現場ですから、優先的にできると思います。それに対して山は次のランクになるのが5月かかがやきか金沢か小松市にもいろいろな面で対抗意識を持ってそれで悲しみ。新幹線ができれば駅ができれば5月よりいろいろな点ではるかに優位優位に立てるというそういう考え方ができるあるだろうと思うんですね。

これが一つ新幹線が出てくると金額の問題。そういう関係が必ずあるわけですね。だから、その辺で、例えば高岡と高浜の場合で、従来高岡は1本日本を富山は遅れ6両を取っております。例えば、北陸自動車道にしましても、高川が10社だけが外れてしまっているわけですね。

だから、もう当該林というのは、富山富山県富山市の人に対して非常に強い的育成関係という競争心を持っている。だから今、富山市から新幹線駅ができた場合には、もうこれまでの対抗日といいますか。それに一つの決着がつくという結果になりかねないわけですね。

労を向いても、結局富山市に従属せざるを得ないというその暖冬の上に立っているのが、現在の高岡の立場。だから何が有料でいいのかエールを書いて、幌別川家にもぜひ停車駅を作れという要求がある場合によっては、それが奥能登を結ぶ最も重要な交通の結節点であるといったような意見まで。

それに持ち出されて、ぜひ高岡についてもやはり高岡にできるかどうかは非常に難しい問題があるというのは、卵がある場合に新幹線のように迂回するわけですね。迂回すれば、せっかくなつまり光というのは記者がしれないということになり、そういうことでそういう都市の業務の関係なんですね。

完全によく言われるそのことが制度上、うまく考えずに停車駅ができた場合には、ここは非常にある。意味では発展は約束されると思います。それはその条件の一つ一つは条件といいますか。その可能性というのは、新幹線がTGVができるようになるとともに、ここは小松空港に非常に近いというんですね。

やはり近代近代都市の最も重要な条件の条件といいますか。発展の条件は、やはり高速交通機関がある上からエアポート飛行飛行場がある。もう一つは港湾港があるということになり、石の最新な神器みたいなんですね。日本の場合は今新幹線停車駅絵柄飛行場えから港。

かなりの場合は港はちょっと沿岸都市や飛行場は非常に近い。それからある。これから新幹線停車駅ができる。つまり、大都市として発展する素地の3つの2つまで備えるということになり、そういうことになりますと現在院号6番ちょっとですけれども、当該のの沿線の小都市を見ました。

東海道新幹線ができることによって、どの私も軒並みに飛躍的に人口増加してきておるわけです。だから、10万人50万も夢ではないということが言えるのではないかと思います。それから、しばしば新幹線だとどれぐらいのお客が来るだろうという予測がよくあるわけ。

それで内でこの予想を立てて、それに見合った。例えば道路を広げるとか、あるいは駅舎を建てるとか、駅舎の廣澤を決めるとか、あるいはタクシーの台数を決めるとか、さまざまな対策があらかじめとられているわけですね。例えば、岡山の場合でもそうだし、広島なら博多今そうやっているわけですけれども、どれもこれも予想が当たった試しがない。

それでその予想はたいてい予想を上回るお客が来るわけですね。そういう点で例えば岡山の場合、吉備団子岡山の名物がきびだんごがJTに爆発的に売れで工場設備は3倍にしたけれども、まだ間に合わなかったというようなうれしい悲鳴が同じようなことは岡山の備前焼についてもそうですね。

それから九州は博多は博多人形こういうですね。これまで何でもなかったようなものが、この新幹線の出現でともに異常なブームを行くということがしばしばある。だからそういう点でやはり着想といいますかアイデアというものがよい時代なんで、そろそろこの加賀高新幹線ができるという可能性が出てきましたら、大いにアイデアを発揮すればの博多人形あるいは球団に負けないぐらいのものの需要が見込まれるということが言えると思います。

しかし、これは非常に地道な話ですけれども、船橋駅ができた場合にユニ埋まる方が4番困るといいますか困らないかもしれませんけれども、期間が非常に上がるであろうということ。これはどこでもそれは言えることで、静岡とか、それから3島浜松だって静岡の場合、あるいは県外ですから、余計負の影響が強いわけですけれども、このの駅ができましたら、そのの駅かいわいといいますかね。

目抜き通りといいますか。そこの地価が1約10倍になったというような爆発的な地価の上昇があるわけで、これを椎野都市計画にとってはに大きな影響といいますか邪魔になると言いますかね。だから、やはり都市計画は非常にあらかじめやって計画進めておかないとユニー。

将来の市が大きな障害になるだろうとということはいえ言えると思います。先ほどちょっとこれは雑談みたいにですけれども、これは新幹線というのは毎年お客人を乗せる。だから旅客交通機関なんですが、案外ですね。それが物を運んでいるという例があるんですね。

だから、そういう点で何か見方が軽くて、金の円建ての原物は新幹線を利用して売りに行ってもかなり有利であるというケースがあります。それは問屋なしの場合に出足は地理の名産このごろ、いわゆる地理文で統計的に東京で非常に優雅多いわけで。

だから毎日のいそ名とかジャムし、5回こういった。新幹線を利用して大田運んでいるわけです。これは新政令な嫌いがあるので、新幹線をわずか東からだったら2時間から2時間で足切りますので、非常に東京では長く騒がれるというか同じようにやはり非常に新鮮で、しかも慣れやすい野菜。

これは刺身にくっついている青じそですね。この青じその葉っぱは、実は日本で全生産額の80を占めているのがとれないしないという話で、つまりビニールトンネルを1種。栽培をやっているわけですが、そこでこの青じそをきちんと白にあるいは10枚いっぱいできたのに、これをきちんと箱詰めにして届ける。

これはみんなこう背中に1日で新幹線を利用して運んで駄菓子の場合は何かおいしいのにとG青じそ専門幸1名執念1年で刺身には必要ですから、周年栽培をして年間1,000万円ぐらいの所得を上げている。青じそだけですよ。そういうような新しい農業が成り立つ可能性もある。

500坪の大石で1,000万だ。そういうように何この地方の農業なり、なんなり漁業ない人に与える影響というのは、案外なところに予測。ちょっと予想できないような影響が出てくる。それからあれなんかないしの場合は、提言ができれば非常に発展するならということは先ほど申しましたけれども、その上一つのあれはつまり、これは静岡のケースですけれども、あるいは赤田の場合ですけども、つまり新幹線を利用する時間が非常に短縮されるということと、しかも立地条件さえ良ければ、あるいはそこの環境条件といいますかが

よければ全国大概。いろいろな形の前後の大会が持たれる可能性が非常に大きいということですね。そういう点で静岡の場合は従来ほとんど全国大会はなかったのが新幹線が停車するになってからほとんど毎月のようにリーグそれに落とす金というのは来て若い人来場日の前は関西の場合は平和や2つの立派な軍船を持っておるわけですね。

この温泉の観光客の流入ということはもちろんですけれども、それを足場としてはそういった全国があるいは国際的レベルの会合がしばしば開かれる。チャンスが往来するであろうということが、このかなりの発展につながっている。そういう意味でやはりびっくりするほどのスピードで人口は増大するんじゃないか。

だからそれに備えた全全員を含んだような一つの都市計画というものを今から考えておく必要があるのではなかろうかと思うわけ笑。

それからこれは役人方とか学校の学校の先生あんまり安くない全く2今、公務員でここに新幹線が停車した場合に、ちょっとそんなのはつまり、例えば東京とか大阪大阪あたり必要ということになりますと普通だったら1泊2日になるんですけれども、この場合は日帰りになりますので、そういう点での重量比がちょっと損をするので、そういう意味でということもできるわけですね。

静岡の場合でも、現場の人たちちょっと口説いていましたけれども、つまり動機は出張が日帰りになって宿泊料がカットされて、ちょっと意味がなくなるというようなそういうようなことが出てきますのは結局、それに関連して言えることは、こういう高速交通機関スピードアップされますとつまり時間というものの観念が非常に変わってくるということは、これは東海道新幹線のどの地域でもそういう声がれました。

つまり、1時間1時間があれば、どこからどこまで走って記者は行っているということなんですね。つまり、非常に先のは日本人はエコノミックアニマルと言ったけれども、だんだんとですね。点アニマルつまり次元がめつくなる。これは非常にいいことだと思うんですね。そういう方向へと大人数。

だからこれまでの大小2時間から時間といいんですかね。その時間は時間の観念がこの新幹線が出てきた場合には大いに改まるだろう。それを我々は非常に期待するものでます。今、そういうメリットも非常にあるんじゃないかと思って、そういうことで加賀市の場合は全国的な大温泉。

これ生産額が見ましても、つまりかなりの生産といいますか生産では2つある。一つは工業性生産一つはサービス生産人口にしましても私、いや、就業人口にしましても、圧倒的にサービスと機械工業のウエートが高いわけですけれども、これがそういう意味では今、私は広々として、しかも田園的な風景が支配的ですけれども、生産の面から見ると全く近現代の新しき新しい現代の都市的な姿を持っている。

そういう意味では、この新幹線問題というのは都市としての考え方で、いわゆる北陸新幹線は夜に我々は夕暮れ観光的な役割が非常に大きいと思いますので、やがて山代当てはまる両温泉を抱えている話にとっては、ここでは新しい飛躍新しい、つまり北陸で優秀な都市になるための一つの踏み台としての新幹線になるであろうと、私は予想するわけない。

そういう意味で何とった時に非常に駅前が狭かったり、あれがどうだったかというぐちゃぐちゃとしたことも起こらないように、あらかじめそういった都市計画を中心としたの入整備し整備を進めていくことが望ましいとで、その時は大体時間が参りますので、いやにまとまらない話で申し上げないんですね。

失礼でいただきます。拍手国鉄月1時間でありがとう13日に近代の文献で7年前に安全の問題についててで、この日までの姿はどういうふうに思っています。今日はこれで終わります。この後、コンクールを経て。

外部リンク

ウィキペディアには北陸新幹線を説明した記事があります。